25 Years Later
1985年の今日、ちょうどこの時間、父が最後の吐血をし昏睡に入りました。
そのまま目覚めることなく朝を迎え、旅立ちました。私には何も出来ませんでした。
「事実を受け止めなければ」と心を無にしました。無力な母と幼い弟が居たから。
医師の「ご親族に連絡を」の言葉は、昨日の事のように鮮烈で、その声さえ思い出せるほどなのに。顔はまるで思い出せません。やさしい何かが記憶を消し去ってくれたのでしょう。
ー 25年経ちました。
私にはまだまだやらなければいけない事や、やりたい事が沢山あります!それは良いことですよね(^^)
そう思います。上手く言えませんが、今は小さな家族と沢山のフォトグラファーに囲まれ私は本当に幸せです。まだまだ死ねませんよ、楽しくて!!
そのまま目覚めることなく朝を迎え、旅立ちました。私には何も出来ませんでした。
「事実を受け止めなければ」と心を無にしました。無力な母と幼い弟が居たから。
医師の「ご親族に連絡を」の言葉は、昨日の事のように鮮烈で、その声さえ思い出せるほどなのに。顔はまるで思い出せません。やさしい何かが記憶を消し去ってくれたのでしょう。
ー 25年経ちました。
私にはまだまだやらなければいけない事や、やりたい事が沢山あります!それは良いことですよね(^^)
そう思います。上手く言えませんが、今は小さな家族と沢山のフォトグラファーに囲まれ私は本当に幸せです。まだまだ死ねませんよ、楽しくて!!
2010年4月 5日 22:12




コメント
一つの指標を無くした時、私はどうなるだろう。
2010年4月 6日 19:01 | nakagawa
人は生きて散る。
だから、精一杯生きなければいけないと思うのです。
生きていることは当たり前じゃなくてラッキーなこと。
どう使うかは自分次第。勿体なくて時間と体がもっともっと欲しい。
2010年4月 6日 22:18 | 笹倉
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